昭和30年代の始めから中頃にかけて、年齢的には5歳から小学校4年生頃、上から見ると丁の字型に屋根を連ねる10世帯ほどの長屋に私は住んでいた。人呼んで「丁字長屋」。両端にそれぞれ共同トイレと洗濯場があり、その洗濯場は長屋の奥様連中のコミュニケーションの場でもあった。今ではテレビの時代劇くらいでしかお目にかかれなくなってしまったが、おばちゃん達の井戸端会議が毎日のようにこの洗濯場で繰り広げられていたのだ。
長屋と工場と大家宅の間には、通路というよりは広場といったほうがいいであろうか、ほどよいスペースがあり、この時代であるから舗装はしていないが、子供達の格好の遊び場となっていたのだが、紙芝居がやってくると広場は野外劇場に早変り、あるいは行商の魚屋や八百屋がリヤカーを引いてやってくるとにわか商店街となる。といったように時に住人の多目的広場としての機能をも果していた。
そういえば、この頃はこういった広場や空地はあちこちに点在していたが、いつの間にかみかけなくなってしまった。当時はまだ自家用車がある家などはほとんどなく、ホコリもそれほど立たず安全であるから、子供達は思いっきりそこら中を駈け回り、一日中遊んで山あいに夕陽が沈む頃、各家の煙突から夕げの支度を告げる煙がたち始めると、「ごはんだよーっ!」と呼ぶ親の声で、子供達はそれぞれに帰っていくのである。
「おかずがたくさん出来ちゃったから」と近所同士のおすそわけがあったり、時には、味噌・醤油、あるいは米の貸借りなどは当り前の人情長屋。
まだ日本人の多くが、貧しくとも優しく、そして思いやりをもっていた昭和のある時代。誰も知らない片田舎の、誰も知らないこの長屋に暮す人々の悲喜こもごもの物語。
文と絵/松王謡一(NORA)
text&illustration by YOUICHI MATSUO

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