大家は、長屋とは地続きですぐ隣にある大きな瓦工場の社長で、りっぱな邸宅も丁の字の上隣の敷地内にあった。大家はいわゆるお金持ちなのだが、そういうそぶりは見せたことがない。とてもきさくでお人好し、たとえば、当時はまだ珍しかった電話。住人が急用の時にはしょっちゅう借りていたのだが、その為に居間においてあった電話をわざわざ玄関に移動したほどである。皆が気兼ねなく話せるようにという配慮だったらしい。 あるいはこれも珍しかった蓄音機などを縁側に持ち出しては、78回転のSP盤をよく聞かせてくれた。この蓄音機は手動式で、1曲終るたびにゼンマイのようなものを巻かなければならなかったのだ。レコード針もまた横の小さな引出しにたくさん入っていて、ひんぱんに交換していたのを覚えている。今から思えばレコード1曲聞くのも随分手間がかかっていたものだ。 ハイカラだった大家が好んで聞く曲は、主にジャズやハワイアンなどのポピュラーであったが、たまに春日八郎や鶴田浩二などもかかっていたのでそれほどジャンルにこだわってはいなかったようである。とにかく、このような人柄なので住民からの人望も厚く、そこはまるで落語に出てくるような人情長屋だったのである。 この大家の経営する瓦工場は私達子供にとってとても魅力的な場所だった。時々忍び込んではよく遊んだものだが、なにしろ広い。あまりの広さゆえに、大勢の人が働いていたはずなのになんとなくガランとしていた。しかも昭和30年代であるから工場内は薄暗い。プレス機や瓦を焼き上げる窯の影から突然人が現れるのだ。あるいはわざと私達を脅かそうとしていたのかも知れないが、そんな従業員達も工場内を好き勝手に歩き回る私達を特に咎めるでもなく、「危ないから機械には手をだすなよ」くらいの注意をうけるくらいであった。時間がゆったりと流れているような時代だと人の心もおおらかになるのだろうか。そんな瓦工場での楽しみは粘土遊びである。なにしろ良質の粘土が豊富にある。こぶし大の粘土を貰っては思い思いのものを作り、出来上ると瓦と一緒に窯で焼いてくれた。車や戦闘機など10個くらいのコレクションが出来上ったが、残念ながら今は手元にない。 さて、この長屋の最大のイベントといえば大家主催の春の花見大会である。といっても残念ながらこの長屋には桜の木はなかったのだが、目的は住民の親睦であり、年に一度のこの日、大家が全ての費用を出して市内の高級仕出し店から弁当をとり、酒をふるまった。そして興がのってくると自ら踊りを披露して見せたりもした。 おそらく、この人は基本的に人間が大好きだったのであろう。あるいは淋しがりやだったのかも知れない。子供だった私には当時の大家の心境は知る由もないが、奥さんが居なかった事。高校三年と一年生の息子との三人暮しだった事を考えれば、あのふくよかな笑みの裏にはそれなり苦悩もあったのかも知れないが、いずれにしても、私のその後の人生において、こんなにも豊かな心を持った人物には出逢った事がない。 ●
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