昭和35年6月、17歳になったばかりの角刈りの少年が浅草国際劇場で行われていた「フランク永井ショー」のゲストとして舞台に立った。「潮来笠」でレコードデビューする2ヶ月前の橋幸夫である。

着物と股旅と潮来刈り

 道和中学2年の時から3年間、作曲家遠藤実のもとで歌のレッスンを受けていた橋幸夫は、昭和34年にコロムビアのオーディションを受けた。歌ったのは村田英雄の「蟹工船」と「人生劇場」。だが残念ながら不合格。理由は「若すぎる」だった。しかし、ビクターのオーディションに合格、昭和35年1月にビクター専属となった。ただ、遠藤実はコロムビアの専属作曲家だったために、秘蔵っ子の橋をビクター専属の吉田正のもとへ送り出すことになった。遠藤実は橋のためにいくつかの芸名をあたためていたのだが、その中の「舟木一夫」をにつけようとしていたのは有名な話。
 デビュー曲として用意されていたのはポップス調の「あれが岬の灯だ」と股旅調の「潮来笠」など数曲。橋自身は「あれが岬の灯だ」を気に入っていて、「潮来笠」の方はベテラン歌手で「勘太郎月夜」などの股旅演歌のヒット曲を持つ小畑実に歌わせようという社内案もあったのだが、レッスンを見学した作詞家の佐伯孝夫が「この子は股旅のほうがおもしろい」と一言。吉田正も日本調の歌のほうが合うと直感していたので、結局「潮来笠」がデビュー曲に決った。
 さて、昭和35年7月にレコードデビューを果したわけだが、折しも、ティーンエイジャーの間ではカバーポップスが全盛の時、そんな中、着物姿で股旅演歌を歌う17歳の橋の姿は逆に新鮮だった。吉田正、佐伯孝夫の思惑どおり「潮来笠」は大ヒット。その後も「おけさ唄えば」「木曽ぶし三度笠」「南海の美少年」などのヒットを続け、時代・股旅歌謡を定着させるとともに一躍トップスターの仲間入りを果した。短く刈ったヘアスタイルは「潮来刈り」と呼ばれ、街には大勢の「橋幸夫」が出現した。
 それにしても、橋の実家は東京・中野の老舗の呉服屋「富士屋」を営んでいたのは偶然の幸いか、つまり、ステージ衣装には困らなかったのだ。
 この年の第2回レコード大賞で新人賞受賞。新人賞はこの時に初めて設けられたので、受賞第1号となる。翌昭和36年1月には大映映画「潮来笠」(主演小林勝彦)が作られ、チョイ役だが初出演を果した。本格的な出演映画は、同年4月、3作目となるやはり大映の「おけさ唄えば」。共演の市川雷蔵とは兄弟分の設定だが、本当の兄弟のように似ていると評判だった。というわけかどうか、その年の12月に「花の兄弟」で再び共演。今度は本当の弟役だった。

つづく

TOP

■このサイトに掲載してある画像・文の無断転載を禁じます。
■リンクは構いませんが、必ずご一報ください。

このサイトはあくまでも個人的な趣味で作成しているもので、営利目的ではありません。
しかしながら、もし、使用してある写真及び記述が、著作権者並びにご本人の権利を害するものであれば、当サイトの本意とするところではありません。申し出でいただければ速やかに削除します。
歌謡曲をこよなく愛する者のささやかな楽しみですのでひらにご容赦くださいませ。

ringo@ma.wainet.ne.jp