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 2月に「NHK東京放送局」によって日本初の本格的テレビ放送が開始された。8月にはNHKと放送一番乗りを競った「日本テレビ」も民放としては初の開局。いよいよ、テレビ時代の幕開けである。だが、国産のテレビ受像器の値段は20万〜30万円。アメリカ製テレビでも20万円前後と、大卒初任給が7〜8,000円の状況では一般庶民には高嶺の花であった。
 そんなテレビを普及させるために、「日本テレビ」の正力松太郎が打った秘策が「街頭テレビ」である。駅や商店街など全国278カ所に設置、無料で視聴させた。また松下電器をはじめとするメーカーもデモンストレーション用のテレビカーを用意、全国を巡回した。
 わが家でテレビを見れない人々は「街頭テレビ」に殺到、そしてその群衆を熱狂させたのがプロレスの力道山だった。テレビが生んだ初めてのヒーローである。こうして「テレビ」と「ヒーロー」の時代は大きく第一歩を踏み出した。
 こうした新しい動きもあり、消費動向は好況へと向ってはいたものの、一方で板門店の休戦会談妥結による朝鮮特需の衰退で再び不況が深刻化、労働環境は厳しく、全国各地での労働争議、そして就職難と国民の苦悩はまだまだ続く。また、政界では3月の吉田内閣「バカヤロー解散」をはさんで政党の再編が相次ぎ、混迷の度合いを深めるなど、暗い影を投げていた。
 そんな中、ミス・ユニバース国際大会で、ファッションモデルの草分け伊藤絹子が第三位に選ばれるなどにより、女性のファッションへの関心が高まり、大胆でカラフルな女性が街に溢れるようになった。そしてジャズブーム、スクーターをはじめとするモーターサイクルブームと、貧しいながらも若者たちは明るさを取りもどしていった。いわば、戦後社会が混乱期脱出の「明」と「暗」を示し始めた年であったともいえる。





スーパーマーケット第一号
11月28日、東京・青山に「紀伊国屋」がオープン。当時としてはかなりモダンなデザインの店舗は、当初、日本人は遠慮して入れず、客は米軍基地関係者がほとんどだった。

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