昭和26年(1951)の歌謡曲・流行歌・愛唱歌
●ミネソタの卵売り
歌:暁テル子/作詞:佐伯孝夫/作曲:利根一郎
出だしからいきなり、コッコッコッココケッコ−!である。今、聴いても斬新。しかもミネソタ!ミネソタと聞いてどこにあるかすぐに答えられる日本人はそうはいないだろう。シアトルでもニューヨークでもなくミネソタなのだ。これだから歌謡曲はあなどれない。
曉テル子は私の大好きな歌手の一人だが、どこか井上陽水と同じ匂いを感じる。いわゆる七五調ではなく、メロディーの中に思い切り単語を詰め込み、妖しい雰囲気を醸し出すのだ。陽水といえば「コーヒー・ルンバ」をリバイバル・ヒットさせたが、今度はぜひこの「ミネソタの卵売り」を歌って欲しいものだ。絶対にハマルこと請け合いである。
他にも「東京ジルバ」「リオのポポ売り」や「祭りの夜のフラダンス」など、リズム歌謡のバイブルみたいな曲が目白押しだが、どれを聴いても・・う〜ん!やはり妖しい。
●東京シューシャインボーイ
歌:暁テル子/作詞:井田誠一/作曲:佐野鋤
「東京シューシャン・ボーイ」は当時、路上に溢れていた靴みがきの少年達を歌った歌で、ともすると暗くなりがちなテーマを明るく歌いとばした。シュッシュシュッシュシュー!キュッキュキュッキュキュ!かの偉大なるハンク・ウィリアムスもピーナッツ売りと靴みがきから出世したのだ。ガンバロウッ!と言ったかどうかはわからないが、夢や希望は決して捨ててはいけないと言っているように聞こえた。4年後の昭和30年には、やはり靴みがきをテーマにした宮城まり子の「ガード下の靴みがき」がヒットしたが、こちらはグッとシリアス路線で哀愁を帯びた悲しい歌であった。
●私は街の子
歌:美空ひばり/作詞:藤浦洸/作曲:上原げんと
「私は街の子」は3月封切の松竹映画「父恋し」の主題歌。
●ひばりの花売娘
歌:美空ひばり/作詞:藤原洸/作曲:上原げんと
同じく3月封切の松竹映画「ひばりの花売娘」の主題歌。歌謡曲のタイトルには歌手名をつけたものが数多くあるが、中でも美空ひばりの曲数が圧倒的に多い。「ひばりの花売娘」は「ひばりの〜」をつけた最初の曲。作曲者の上原げんと氏はキングの専属だったのだが、美空ひばりの強い要請でコロムビアがスカウトした。その時にコンビを組んでいた作詞家の石本美由起氏も一緒に移籍している。このエピソードだけでも、すでに美空ひばりの影響力がいかに大きかったがわかる。
●あの丘越えて
歌:美空ひばり/作詞:菊田一夫/作曲:万城目正
「あの丘越えて」もやはり松竹・同名映画の主題歌で11月封切。相手役は鶴田浩二だが、この時が美空ひばりの初恋だったと言われている。
●僕は特急の機関士で
歌:三木鶏郎/丹下キヨ子/森繁久弥/作詞・作曲:三木鶏郎
三木鶏郎こそ、ジャパンモダンビートの草分けであり、CMソングのパイオニア。「僕は特急の機関士で」はいくつかのバージョンがあり、他に楠トシエ・エノケン(榎本健一)盤や「僕は特急の機関手で」轟夕起子/浪岡惣一郎/三木鶏郎・服部富子盤もある。またこの後も「僕はタクシーの運転手」「僕は街の郵便屋さん」「僕はアマチュア・カメラマン 」などがあり「僕は〜」シリーズといえる。
●アルプスの牧場
歌:灰田勝彦/作詞:佐伯孝夫/作曲:佐々木俊一
思わず丸美屋のチズハムやロッテのチョコレートが目に浮かんでくるタイトルだが(笑)、ヨーデルを歌謡曲に取り入れた最大のヒット曲であろう。余談だが、中野忠晴とコロムビア・リズムボーイズのやはりヨーデルをフィーチュアーした「山の人気者」をパロった「焼肉食べ放題」という歌がローカルヒットしたことがあったが、焼肉とヨーデルはどう考えても結びつかない(笑)。
●野球小僧
歌:灰田勝彦/作詞:佐伯孝夫/作曲:佐々木俊一
灰田勝彦は野球が大好きで、所属するビクターでもチームを作っていたくらいだが、コンサートでは客席に向ってサインボールを投げるのが恒例で、大劇場の2階席まで楽々届いたというからかなりの強肩である。
●高原の駅よさようなら
歌:小畑実/作詞:佐伯孝夫/作曲:佐々木俊一
この曲がヒットした当時、全国の国鉄の駅で列車が発着するたびにこの歌が流れたそうである。「高原の駅」とはどこにあるのだろうか、もちろん象徴的なものだとは思うが、いろいろと想像するのも楽しい。他に岡本敦郎の「高原列車は行く」というヒット曲もあるし、鉄道には全くうといが、「高原」というイメージから思い浮ぶのは、やはり日本アルプスの麓あたりがふさわしいとは思う。
●上海帰りのリル
歌:津村謙/作詞:東条寿三郎/作曲:渡久地政信
戦後7年たってもまだ、街角には「尋ね人」の張り紙が目立っていた。戦災による行方不明者を探すラジオ番組もあったくらいで、そんな世相に「♪誰かリルを知らないか〜」という歌詞とともにビロード・ボイスの津村謙の歌声が流れた。このヒットによって、ラジオ局には「リルは私です」とか「どこどこで見かけた」とか本気とも冗談ともわからないような問い合せが相次いだ。すかさずコロムビアから「私がリルよ」歌:三条美紀(作詞:和田隆夫/作曲:東為二)が発売されたが、これはあまり売れなかった。
●トンコ節
歌:久保幸江/作詞:西条八十/作曲:古賀政男
ポビュラー音楽が普及し始め、歌謡曲もリズムものが多く作られてはいても、伝統的な小唄や民謡を基にしたお座敷歌謡もまた大衆には愛されていた。折りしも街は特需景気で沸きかえり、宴会が増えていた頃でもある。カラオケのない時代では手拍子で歌えるのがよかった。「トンコ節」はその中でも代表曲。最初は楠木繁夫とのデュエットだったがなかなか売れず、そのうち楠木繁夫は他社に移籍。1年くらいたって徐々に売れ出して、あわてて一人で吹き込みし直しての大ヒットだった。
●連絡船の歌
歌:菅原都々子/作詞:大高ひさを/作曲:金松奎(長津義司)
一時期、古賀政男の養女となっていた菅原都々子が自ら見つけてきた歌。独特の節回しが特長の彼女だが、青函連絡船から飛降り自殺をしようとした生活苦の母子が、ちょうど聞えてきたこの歌を聴いて思いとどまった。という逸話もある。
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[昭和26年/芸能ニュース]
■ 紅白歌合戦始る
現在でも続いている紅白歌合戦は、この年、昭和26年に第1回が開催された。実は昭和20年、終戦の年の暮れに「紅白音楽試合」が行われ、これが「紅白歌合戦」の前身にあたる。昭和28年には正月に第3回、大晦日に第4回と二度行われ、翌年、第5回からは大晦日が恒例となり、現在に至っている。
●第1回紅白歌合戦:昭和26年(1951)1月3日/午後8:00〜9:00
東京放送会館第一スタジオ
司会:紅組/加藤道子 白組/藤倉修一アナウンサー
[紅組]
菅原都々子/憧れの住む町
暁 テル子/リオのポポ売り
菊池 章子/母紅梅の唄
赤坂 小梅/三池炭坑節
松島 詩子/上海の花売娘
二葉あき子/星のためいき
渡辺はま子/桑港のチャイナタウン
[白組]
鶴田 六郎/港の恋唄
林 伊佐緒/銀座夜曲
近江 俊郎/湯の町エレジー
鈴木 正夫/常磐炭坑節
楠木 繁夫/紅燃ゆる地平線
東海林太郎/赤城かりがね
藤山 一郎/長崎の鐘
※白組優勝
【参考データ】
■ 紅白音楽試合:昭和20年(1945年)12月31日
司会:紅組/水の江滝子 白組/古川ロッパ 総合司会/田辺正晴アナウンサー
[紅組]
芦原 邦子/すみれの花咲く頃
市 丸/天竜下れば
川崎 弘子/六段の調べ(琴演奏)
川田 正子/汽車ポッポ
近藤 泉/ユーモレスク(バイオリン演奏)
小夜 福子/小雨の丘
長門 美保/松島音頭
並木 路子/リンゴの唄
比留間絹子四重奏団/サンタルチア(マンドリン演奏)
二葉あき子/古き花園
松島 詩子/マロニエの木陰
松田 トシ/村の娘
松原 操/悲しき子守唄
[白組]
加賀美一郎/ペチカ
霧島 昇/旅の夜風
楠木 繁夫/緑の地平線
桜井潔楽団/長崎物語
下八川圭祐/ヴォルガの舟歌
浪岡惣一郎/曲目不明
平岡 養一/峠の我が家(木琴演奏)
福田 蘭堂/(尺八演奏)
藤原 義江/出船の港
松平 晃/花言葉の唄
柳家三亀松/(新内流し)
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