[昭和25年/1950の歌謡曲・流行歌・愛唱歌]

東京キッド(7月発売)
歌:美空ひばり/作詞:藤浦洸/作曲:万城目正

 主食の米・芋でさえもまだ配給の時代。お菓子などはそう簡単に手に入るはずもなく、子供達のおやつといえば「ふかしいも」や「黒砂糖のかたまり」。しかし、これらを貰える家庭の子はまだいいほうで、もっと貧しい家では、片栗粉を少な目の水で溶いてだんご状にしたやつとか、ミツゲン(調味料の一種)をお湯に溶かしてドリンクがわりにしたりしていた。「左のポッケにゃチューインガム」には、そんな子供達の憧れが凝縮されていたのだ。
 天才少女歌手の名を欲しいままにしていた美空ひばりが、この歌を発売したのが7月、9月には同タイトルの映画が封切られ、どちらも大ヒットとなった。
 映画の方は、単なる歌謡映画では片付けられない。当時の世相もよく描かれているし、等身大の美空ひばりの魅力を存分に引き出した佳作といえよう。このあたりは、美空ひばりを最もよく知る当時のマネージャー福島通人氏がプロデューサーだったのと、やはり美空ひばりの演技力を見いだした齊藤寅次郎監督の力によるところが大きい。
 最後のシーンで、生き別れになっていた父親(花菱アチャコ)と再会するのだけど、この父親がハワイで大成功をおさめたという設定は、この年の4月に公開された映画「憧れのハワイ航路」とつながっているようで楽しい。ハワイなどは夢のまた夢、海外旅行も自由に出来なかったので、当時の人々にとってはハワイというテーマにはどこかロマンを感じていたのかも知れない。

越後獅子の歌
歌:美空ひばり/作詞:西条八十/作曲:万城目正
 昭和26年(1951)に封切られた映画「とんぼ返り道中」(松竹京都)の主題歌で、堺俊二(堺正章の父)と街道を歩きながら歌うシーンは印象的だった。万城目正の哀愁を帯びたメロディーは、どこか越後獅子の悲しみをたたえていて心にしみる。
 越後獅子はこの頃の読物や映画に題材としてよく登場していた。古くは嵐寛寿郎「むっつり右門」シリーズの「三十五番手柄 越後獅子の兄弟」。同じく「鞍馬天狗」シリーズの「角兵衛獅子」。松方弘樹主演の東映「越後獅子祭り」などがある。

越後獅子(角兵衛獅子)
 
江戸宝暦年間、新潟・月潟村が発祥の地だといわれている。その由来は、この地方は河川の氾濫が多く、よく飢饉に見舞われたことからをその対策として始まったのではないかという説がある。育ち盛りの子ども達が1年の大半を地元を離れて旅をしながら芸を披露してまわる越後獅子は、食料事情の悪さを解消するための苦肉の策だったと思われる
。越後獅子は、基本的に獅子舞4人、笛吹1人、太鼓1人で構成され、地唄や長唄に合わせながら一本歯の下駄や晒し布を使ったアクロバティックな踊りを見せるもので、いわゆる大道芸と思ってもらえばいいだろう。江戸時代のとくに正月には欠かせない風物詞だった。

あざみの歌
歌:伊藤久男/作詞:横井弘/作曲:八州秀章

熊祭(イヨマンテ)の夜
歌:伊藤久男/作詞:菊田一夫/作曲:古関裕而
 イントロの部分の「♪アーホイヤー」が印象的な「イヨマンテの夜」。各地ののど自慢でもこぞって歌われたが、この部分をきちんと歌いこなせる人は少なかったようだ。ずーっと後に井沢八郎がこれをヒントに「北海の満月」のイントロを考えた。男性的で力強いイメージが強い伊藤久男だが、「あざみの歌」や「山のけむり」などの叙情歌も多く歌っている。

買物ヴギ
歌:笠置シズ子/作詞:村雨まさを/作曲:服部良一
 笠置シズ子は香川県生れだが、小学校卒業と同時に大阪の松竹演劇部(のちのOSK)に入っている、バリバリの浪花人である。しかし、世に出たのは「東京ブギウギ」。大ヒットはしたものの「東京」という言葉からくるイメージとはどこかしらキャラが合わない。その点からいけば「買物ヴギ」は「♪わて、ほんまによういわんワー」、ぶっ飛びナニワビートである。これぞ、ぴったしカンカン!それにしても作曲者の服部良一のセンスには座布団1枚あげたいくらい!後に宇崎竜童がこのアイデアで「売物ブギ」をダウン・タウン・ヴギ・ウギ・バンドで出したときにも、そのノリの良さに思わずうなずいてしまったが・・・。

さくら貝の歌
歌:岡本敦郎(他に辻輝子、倍賞千恵子など)/作詞:土屋花情/作曲:八洲秀章

白い花の咲く頃
歌:岡本敦郎/作詞:寺尾智沙/作曲:田村しげる
 「白い花」ってなんの花だろう。季節としては6月頃かな。やまぼうし、ウツギ。それともシャスターデジーなら信州のアルプスが思い浮ぶ、2番の歌詞に♪ふるさとの高いあの峰〜という部分もあるし・・・。
ラジオ歌謡からたくさんの歌が生まれた。
 この頃、ラジオから流れてくるホームソングが人々の心をなごませていた。いわゆる叙情歌、愛唱歌といったもので、岡本敦郎はその代表的歌手。「白い花の咲く頃」もNHKの「ラジオ歌謡」から生れた歌で、もともとは藤山一郎が歌う予定だったが、番組編成上の都合で岡本敦郎に回ってきた。
 「ラジオ歌謡」は「家族みんなで歌えるホームソングをつくる」というコンセプトで、昭和21年5月から昭和37年3月まで放送された。放送はまず「お書き取りのご用意はよろしいでしょうか」というアナウンスがあってから始まり。みんなラジオを聴きながら歌詞を書写していた。

「ラジオ歌謡」から生まれたおもな曲
●風はそよかぜ
作詞:東辰三/作曲:明本京静
●山小舍の灯
作詞・作曲:米山正夫
●やすらいの歌
作詞:百田宗治/作曲:古賀政男)
●緑の牧場
作詞:松坂直美/作曲:江口夜詩
●夏の思い出
作詞:江間章子/中田喜直
●リラの花咲く頃
作詞:寺尾智沙/作曲:田村しげる
●森の水車
作詞:清水みのる/作曲:米山正夫
●雪のふるまちを
作詞:内村直也/作曲:中田喜直
●あまんじゃくの歌
作詞:深尾須磨子/作曲:高木東六
●花の街
作詞:江間章子/作曲:團伊玖磨

「桑港「サンフランシスコ」のチャイナタウン」
歌:渡辺はま子/作詞:佐伯孝夫/作曲:佐々木俊一
 それにしても「桑港」と書いて「サンフランシスコ」とは、今、読める人が果してどれほどいるだろうか。なんでも当時、サンフランシスコの港は繭(まゆ)の積卸しが盛んだったので、蚕の餌である桑の葉からこの漢字をつけたのだろうという説があるが、定かではない。アメリカは「米」の国、オランダは「蘭」の国?このへんもそのいきさつはよく分らない。
 この曲以外にも「支那の夜」や「南の薔薇」「上海の花売り娘」とか、この当時は外国の地名が登場する歌、いわば外国のご当地ソングともいうべき歌が結構流行っていた。まだ、海外旅行などは一般庶民には縁遠い時代。外国への憧れからか、そのエキゾチックな雰囲気は旅情を誘ったことだろう。

ダンスパーティーの夜(10月発売)
歌:林伊佐雄/作詞:和田隆夫/作曲:林伊佐雄
 ようやく、ダンスホールやクラブが復活し始めた頃、実にタイムリーな曲だと言える。1番の歌詞に「♪躍り疲れて 二人で ビルのテラスに 出てみたら〜」とあるので、ビルのなかにあるホールでのダンスパーティなのか。当時としては大変珍しい、自ら曲をつくって歌った。

夜来香「YE LAI XIANG/イエライシャン」
歌:山口淑子/作詞・作曲Lee Dhing Kwang:日本語詞:佐伯孝夫
 
戦時中には李香蘭の名で歌っていたが、戦後、本名の山口淑子でリバイバルヒット。

水色のワルツ
歌:二葉あき子/作詞:藤浦洸/作曲:高木東六
 明るさの中にも哀愁を漂わせた歌で、大ヒットをうけて、水色のハンカチが売れたとか。後に上原謙主演で映画化された。

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