長かった戦争がようやく終りを告げて5年、まだまだ日本社会は全体的には戦後の混乱を引きずり、経済は困窮を極め、物資は乏しく、多くの日本人はその日の暮しがやっとだった。だが、なにもなくとも今は自由がある。アメリカが持ち込んだジャズやコーラや野球や民主主義にすぐに馴染んだ人々は、貧しくとも日本の再興を信じ、キラキラとした瞳の先には未来への夢が見えていた。
 そんな中、娯楽に飢えていた人々をウキウキさせたのが、景気のいい「軍艦マーチ」である。バラック作りの掘っ建て小屋やテントなどから始まった庶民のささやかな娯楽「パチンコ」が大ブームとなったのだ。この年、「正村ゲージ」と呼ばれる、ほぼ今の形に近い機種の登場によって、よりギャンブル性が強くなり、スリリングで射幸心を刺激したことによるものであった。
 この年制定された「クリーニング法」によってシャツとパンツは別々に洗うことになったし、正月に歳をとる「数え」から、誕生日に歳をとる「満年齢」が実施されたのもこの年だ。
 巨人の藤本投手が青森でプロ野球史上初の完全試合を達成。三等の夜汽車で遠征しての快挙だった。また
黒澤明監督の「羅生門」がベネチア国際映画祭でグランプリを獲得するなど、日本人が自信を取り戻す出来事もあった。
 一方、日本経済はドッジライン設定による調整,世界経済の景気後退などの深刻な影響を受けていたが、6月25日に「朝鮮戦争」が勃発。米軍の物資補給基地となった日本には総額35億6千万ドルにものぼる発注があり、いわゆる「特需景気」によって、輸出と外貨収入が増大。国内産業は増産体制に転じ、好況によって内需は拡大し、鉱工業生産は一気に戦前水準を突破した。おかげで「金物」が高騰、子供達は鉄くずや電線を拾って回り小遣い稼ぎをしたものだ。戦後どん底だった日本経済は
皮肉にも戦争によって息を吹き返したのである。





●テレビ列車
5月4日、NHKが国鉄から列車2両を貸切り、全国15都市をキャンペーン。
(PHOTO:
共同通信社)

■1950 ■195119521953


Copyright (c) 1999-2003 A Ringo House. All Rights Reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等の無断転載を禁じます。記事の著作権はRingo Housoに帰属します。