12月8日はジョン・レノンの命日でもあり、また、去る11月29日はジョージ・ハリスンの命日でもあった。
1962年10月にデビューし、独特のコード進行と美しいメロディラインによるシンプルでストレートなロックンロール、「リヴァプール・サウンド」をひっさげて世界を席巻した4人のカブトムシも今はもう二人しかいない。
そのうちの一人、ポール・マッカートニーの日本公演も記憶に新しいが、やたらと日本語を連発して愛嬌を振りまいている姿を見ると、随分歳とったもんだなあと感じずにはいられなかった。あのやんちゃな問題児だった頃を思い出すと昔日の感がある。
何しろ、ポールと言えば、ビートルズ解散後のウィングス時代。ワールドツアーで来日の際に、大麻不法所持によって空港から強制送還される事、二度にわたり、当時の世論のひんしゅくを買ったものだ。1990年になってようやくソロとして初めての日本公演を果たすわけだが、この辺りの生活感覚が、平和主義に傾倒を深めていったジョン・レノンと袂を分つ原因のひとつだったと言われている。そのジョン・レノンが凶弾に倒れたのは、1980年、ワールドツアーで来日する直前の出来事だった。
ビートルズはいまだに世界中にファンを持ち、その高度な音楽性は、ロックやポピュラーといった狭い範疇にとどまらず、ニュー・クラシックと呼ばれるほど様々な音楽界に影響を与えている事は疑いの余地もないが、60年代における日本に登場した頃は単なるアイドルグループ扱い。音楽そのものよりも「マッシュルームカット」と呼ばれたロングヘアや、「襟なしスーツ」のファッションの方がむしろ話題としては大きく取上げられたものだ。なにしろ、世界各国でNo.1となり、ビートルズ人気を決定的なものにした1964年の「I Wanna Hold Your Hand(君の手を握りたい)」が、日本でのタイトルはなぜか「抱きしめたい」だったことを見ても、その程度の認識でしたなかったことが伺い知れる。でもまあ、これについては、彼等自身若かったし、ファン層も圧倒的に若者(特に女性)だったので、それはそれでいいのだけども、若者へのインパクトという意味では、同時期にヒットチャートをにぎわしたベンチャーズの方が遥かに影響は大きく、現実にレコード売り上げもビートルズを凌いでいた。ビートルズが音楽的に正当に評価されるのは解散間近の70年代に入った頃からで、特に1970年5月に発売されたアルバム「Let It Be」からはこぞってビートルズに対する見直しがなされた。ただし、それは外国での話。日本においてはそれよりずーっと遅く、70年代も終りに近くなってからであった。ようするに外国における評価の高まりに影響されてのもので、それまで日本の音楽メディアや業界では、独自にビートルズを音楽的側面から語る者などほとんどいなかった。ところが、外国できちんと評価されるやいなや、手のひらを返すようにメディアや評論家達がこぞってビートルズ賛辞に明け暮れるようになるのである。まるで、最初からそうであったかのような口調で・・・。(笑)
当時続々と登場したミュージシャン達も、80年代頃になるとこぞって「ビートルズがきっかけだった」などと語っている。どう考えても、あの頃ギターを手にした若者の90%以上はベンチャーズの影響を受けたはずなのだが、とにかく「ビートルズ」と言っておけばそれはステイタス。ベンチャーズ=ダサイ。という風潮になってしまったことは確かだ。
今はベンチャーズもまた再評価されてはいるが、ビートルズであれなんであれ、当時を語る上で「あの頃はそういう認識であった」と、メディアや評論家、あるいはミュージシャンも素直に認めるべきだった。別に恥ずかしいことでもなんでもないのだから・・・。
60年代、まだアイドルそのものだったビートルズを真に音楽的に分析した日本人は、私の知るかぎり、音楽評論家、八木誠氏ただ一人である。