人生50年・・・。

 昔はそう言われていた。
 若い頃、50代の人を見るとすごくジジイに見えたが、今や私もその50を過ぎてしまった。しかし60年代で時間が止っている私の頭では、年老いたという自覚はない。かといって「俺はまだ若い」などと粋がるつもりもないが。

四十にして惑わず。という言葉もある。

 だが、五十を過ぎても惑いっぱなしの私は、悩み、苦しみ、怒り、喜び、笑い、とても忙しいのである。恋にスポーツに心は熱く燃え、しかし、体はついて来ない・・・のだ。
 「人生50年」というのは、たしかに昔は平均寿命も短かっただろうが、決して寿命のことだけを指しているのではなく、50歳という年齢は人生の一区切り、という意味も込められているのではないかとも思う。
 江戸時代に日本地図を作成した伊能忠敬は50歳を過ぎてからの偉業だった。彼は50歳の時に、自分の夢を達成すべく、家督を長男に譲り第二の人生をスタートさせている。
 井上ひさし著「四千万歩の男」に「一身にして二生を経る」という忠敬の言葉が紹介されているが、とにかく忠敬は隠居するとすぐに暦学を学び、55歳で測量の旅に出て、72歳までに日本を14周もしているのである。凄まじいエネルギーである。
 60を過ぎて3度の恋をした画家のアンリ・ルソー。民俗学で有名な柳田国男は55歳を過ぎてからの研究であるし、貝原益軒の「養生訓」は84歳の時に書かれたものである。
 人生半分過ぎて不必要な「我慢」をすることはない。進みたい道を行く。やりたいことをやる。歳を考えず恋をしたっていいではないか。若者に媚びへつらうことはない、「わがまま」でいいのだ。いい意味で・・・。もちろん他人が眉ひそめるような行動はいけませんよ。
 日本人は「オフ」の過し方がヘタなんだそうである。特に定年を迎えてからは、それまでの働き者がウソのようにぬけがらのようになってしまう人が多いという。大体、定年を「リタイヤ」などと言うマスコミもある。冗談じゃねえ。これから「第二の人生のスタート」なのだ!。あれをやりたかった。これをしたかった。というのは誰の心にも少なからず眠っているはずだ。さあ、エンジンに点火しよう!第二の人生を突っ走ろう!もう「濡れ落葉」などとは言わせないぞ!

2001.4.1

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