人間は一人になって物思う時、ふっと思い出す風景がある。
日本映画が栄華を誇っていた昭和30年代の前半、私はまだ小学生だったのだが、叔父が大の映画好きでよく連れて行ってもらった。当時は学校が許可した映画以外は父兄同伴でなければ見られなかったので、他の子供達と比べたら映画は相当に見ている方かも知れない。何しろ、日曜日には必ず行くのである。朝から晩まで、上映時間にもよるが、2軒から3軒はハシゴしたように思う。
私の街には当時、12〜15軒くらいの映画館があったと記憶しているが、そのうち邦画6社の専門館が8館(東映と東宝は東西に2館あった)洋画専門が3館。あとはたぶん、二番館(封切後しばらく期間を置いて低料金で上映する映画館)とピンク専門(こちらは子供だったのでよく分らないが)だったようである。
叔父は特に日活アクションが大好きで、次に時代劇であった。うまいぐあいに日活と東映は近くにあったので地理的にも都合がよかったのだろう。
その他の映画は回数も少なかったがあまり印象には残っていない。それに普通のドラマは子供にとっては動きが少なく、理解もできないのでつまらなかったかも知れないし、どっちにしろ、どの映画も内容はほとんど覚えてないので同じことだが。(ずーっと後年になって、深夜映画やビデオで断片的に思い出した)
映画に想いを馳せる時、原風景として脳裏に浮ぶのは「売店」である。家では普段、あまりお菓子などは買ってもらえなかったので、映画館の売店で叔父に買ってもらうお菓子は映画以上に楽しみだった。
映画館の「売店」はどこか侘しげな雰囲気を漂わせている。大抵は階段の下とかトイレに続く通路の脇とかにあって、おばちゃんが一人いれば十分のスペースに小さなガラスショーケース。置いてある商品も菓子類と飲物だけで種類も品数も少なかった。しかし、いつも満員の映画館で、売切れになったのを見たことがないので、それほど需要はなかったのだろうか。あるいは、裏にストックしてあって常に補充していたのか、うん、そうに違いない、でなければ商売として成立たないハズである。もっとも学校許可映画で子供達が殺到した時にはあっという間に売切れていたが。
私が好きなお菓子は「甘納豆」であった。叔父は「氷砂糖」が好きだったようだが、これは固くてうまれつき歯の悪い私には苦手の部類である。「甘納豆」を始めて食べたのは「続々番頭はんと丁稚どん」の時だった。この映画はフランク永井が、アメ車のデカイオープンカーを運転しながら「東京カチート」を歌うシーンが印象に残っている。クルマもまだ少なかった時代であるから、特にオープンカーというのがなおさら珍しかったからかも知れない。その後「甘納豆」は私の定番となったのである。
「続々番頭はんと丁稚どん」
昭和36年(1961)1月封切/松竹京都
原作・脚本:花登筐/監督:的井邦男
出演:大村昆、芦屋雁之助、芦屋小雁、九条映子、フランク永井
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