PHOTO:毎日新聞社

都会派歌謡の台頭

 米軍キャンプのジャズシンガーから作曲家吉田正門下となり、洗練された都会派歌謡曲を歌うようになっていたフランク永井だが、いまいちビッグヒットには恵まれていなかった。だが、昭和32年(1957)11月に発売された「有楽町で逢いましょう」が大ヒット。フランク永井の「魅惑の低音」は一躍全国を席巻した。あなたとわたしの合言葉「有楽町で逢いましょう」は文字通り当時の恋人達の合言葉となったのである。
 昭和30年前後の流行歌といえば、春日八郎、三橋美智也、藤島垣夫、青木光一などに代表される高音で歌う、地方をテーマにした望郷歌謡が全盛であった。しかし、モダン生活への憧れが日本中を覆い、急速に近代化へ向けて変貌をとげる東京はまさしく「モダン」の象徴。都会生活への憧れは地方から東京への人口流入を増長した。折しもこの年、東京の人口は8,528,622人。世界一の過密都市となったのである。
 そんな社会的背景を受けてか、大津美子や山田真二、それに俳優の鶴田浩二、石原裕次郎などが歌う都会的な歌謡曲が人気を集めつつあった中へ「有楽町で逢いましょう」は登場したのである。ビルのほとりのティールーム、甘いブルース、小雨にけむるデパート、今日のシネマはロードショー。全編を貫く「雨」を小道具に、都会のエッセンスをぎっしり詰め込んだ詞とロマンチックなメロディーはしっかりと聞く者の心をつかんだ。この曲によって流行歌はソフトな低音ブームに、そして都会派ムード歌謡中心へとなっていく。

レコード発売前からすでに流行語となっていた「有楽町で逢いましょう」。

 すでに東京進出を果していた大丸百貨店に次いで、同じ大阪に本社をおく「そごう」も東京に進出するにあたって綿密な計画を練っていた。そこでキャッチフレーズに決まったのが「有楽町で逢いましょう」で、これは宣伝を担当していた豊原英典氏がアメリカ映画「ラスベガスで逢いましょう」からヒントを得たもの。そして当時としては珍しかった、メディアとのタイ・アップでキャンペーンを展開することを決定した「そごう」は、昭和32年(1957)4月、日本テレビで音楽番組「有楽町で逢いましょう」をスタートさせる。
 5月25日午前10時、まだ闇市の面影を残し、街自体が雑然としていた東京・有楽町駅前に、エア・ドアやエスカレーターなど最新鋭の設備を備えたモダンな百貨店が開店した。朝から降続く雨は、のちに大ヒットとなるフランク永井の歌の歌詞「小雨にけむるデパート」そのもの、だが、それにもかかわらず、事前のキャンペーン効果は大きく、約30万人が押しよせ、入りきれない客が店のまわりを幾重にも取り巻いた。


PHOTO:(左)そごう東京店開店の日、雨にもかかわらず30万人が押かけた。(朝日新聞社)
PHOTO:(上)当日の朝刊に掲載された広告。

 「有楽町で逢いましょう」は一躍流行語となり、有楽町駅前、そごう界隈は待ち合せ場所として利用されるようになった。これに目をつけて共同企画を展開させた大映・平凡・ビクターの三社は、まず雑誌「平凡」が「有楽町で逢いましょう」のタイトルで小説を連載。続いてビクターがこの主題歌として、作詞:佐伯孝夫/作曲:吉田正/歌:フランク永井によるレコードを同タイトルで11月に発売。そして大映によって映画化され翌年1月に封切られた。そしてこの映画で共演した川口浩と野添ひとみの二人にロマンスが芽生えたことも人気に一役かった。(二人は昭和35年に結婚)こうして有楽町は、一気に若者のカップルが集る洗練された都会へと変身していった。

あれから45年

 ピーク時には40万人の乗降客があった有楽町駅も都庁移転後は激減。デートコースの定番だった街も90年代にはオフィスタウンの様相を呈していた。そして消費者のブランド志向と中流意識を満足させ、「包装紙」がステイタスにまでなっていた「そごう」自体もかげりが見え始め、2000年7月に民事再生法を申請。9月24日、かつての大ヒット曲「有楽町で逢いましょう」の流れる中、閉店セールが行われ、「そごう東京店」は44年の歴史に幕を下ろした。
 「有楽町で逢いましょう」をヒットさせたフランク永井氏は、昭和60年(1985)10月21日、自慢の低音にハリがなくなっていた事を苦にして自殺を図る。一命はとりとめたが「脳死に近い」程の重傷。今も実姉の三根子さんにつきそわれて懸命のリハビリ生活を送っているが、記憶は乏しく会話も不自由だそうである。「そごう閉店」の報をどんな思いで聞いたのであろうか。そして「都会」を歌い続けた魅惑の低音が奇蹟の復活を遂げた時、もはや「哀愁」や「情緒」といった、きめ細かな心の機微が消え失せた現代世相に受け入れる余地はあるのだろうか。

[参考データ]
映画「有楽町で逢いましょう」
製作:大映東京(昭和33年/1958.1月15日)カラー作品
製作:永田秀雄/企画:川崎治雄/監督:島耕二/脚本:笠原良三/原作:宮崎博史
出演:京マチ子/菅原謙二/川口浩/野添ひとみ/北林谷栄/叶順子/山茶花究他


PHOTO:平凡


PHOTO:当時全盛だった25cmLPこの頃のタイトルは「魅惑の〜」というのが多かった。

フランク永井

●昭和7年(1932)3月18日生れ
●本名:永井清人(ながい・きよと)
●宮城県出身。

 宮城県から上京後、米軍キャンプの厨房の賄いからスタートし、トレーラーの運転手などを経て、米軍キャンプのクラブ歌手となる。昭和29年(1954)日本ビクターと契約。翌30年(1955)にカバー曲「恋人よわれに帰れ」でデビュー。吉田正氏に認められてから歌謡曲を歌うようになり、昭和30年代はじめには「場末のペット吹き」「公園の手品師」「東京午前3時」「夜霧の第二国道」「羽田発7時50分」「西銀座駅前」など主に「東京」をテーマにした都会派歌謡で一時代を築き、その艶のある声は「低音の魅力」としてブームとなった。昭和36年(1961)に「君恋し」でレコード大賞受賞。
 その歌の雰囲気から、いかにも夜の盛り場が似合いそうだが、実はフランク永井は酒が飲めない。ただ、クラブ歌手出身だけあってナイトクラブに行くのは大好きであった。そうして力道山が経営していた赤坂のナイトクラブ「リキ」で歌っていた松尾和子をスカウト。のちに「女フランク」と呼ばれるようになった低音の松尾和子は、マヒナ・スターズとのコンビでヒット曲を連発。フランク永井とともにビクターの都会派歌謡路線の一角をになった。


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