|
■ジャズやロカビリーの下地があったから・・
さて、まさにこの曲にうってつけの歌手坂本九は16歳の時にロカビリー歌手としてデビュー。第3回日劇ウェスタン・カーニバルで新人賞を獲得、そしてこの頃急激に普及し始めていたテレビにも積極的に進出。ニキビだらけの顔がトレードマークとなり、その親しみやすい庶民性と相まってたちまち茶の間の人気者となった。ちなみに「アイドル」という言葉が一般的に使われるようになったのは、この坂本九の登場からと言われているが、当時の日本は高度経済成長の真っ只中、庶民の生活はまだ苦しかったが、明日に向って夢と希望をもてた時期でもあり、明るい笑顔の坂本九はそんな世相にピッタリとマッチしていたのかも知れない。その世相を反映した歌はその後次々と誕生していった。「下町の太陽」(倍賞千恵子)「いつでも夢を」(橋幸夫・吉永小百合)「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)など、いずれも明るく前向きな歌だ。
この坂本九の歌唱法について、作詞の永六輔が当初激怒したというエピソードは今や有名となってしまったが、テスト盤を聞いていた永六輔は愕然とした。「♪ウーヘフォ ムーフーヒーテ ハァールコフォ ウォウォ」まるで日本語になってない上に、語尾を伸ばしすぎではないか。そう感じたのである。文章でメシを食っている人間からすればそうかも知れない。だが、音楽関係者からするとややニュアンスは違ってくる。「音合せの時にどうもしっくりこないので、よーく譜面と詞を見比べてみると音符に対して言葉が足りない。」つまり、あれは間延びを防ぐための苦肉の策だったというわけだ。坂本九自身は「プレスリーのフィーリングで歌った結果」と後に語っているが、プレスリーに限らず、当時のアメリカンポップスには「ウォゥウォゥウォー」とか「イェィイェィイェー」というフレーズは結構あったので、特に意識せずともロカビリー歌手であった坂本九がこれらのフィーリングを身につけていたのは、ホットドッグとコーラを組合わせるよりも当然だったのだ。
あるいは、別な見方もある。例えば坂本九は生れは川崎市だが、戦時中、茨城県に疎開していた時期がある。それでデビュー当時は茨城訛りがひどかった。語尾を上げるのはその名残りではないか。と。しかし、だとすると、作曲はジャズ出身の中村八大であるから、アフター・ビートのエッセンスとうまくフィットしたのかも知れない。また、坂本九は端唄や小唄の素養も持っていたのでそれらが下地となった可能性もあるだろうし、詳しくはわからないが、いずれにしても、様々な要素がうまくミキシングしたのは確かだ。そして、明るい曲調でありながら日本的ウェットな部分を残し、外国人の感覚ではエキゾチックと感じるメロディーラインと、このポップスティストを含んだ坂本九の歌唱があったからこそ、日本語であっても世界で愛されたのだということは言える。
■「SUKIYAKI」になった!
昭和37年(1962)に来日していたイギリスのパイ・レコード会社の社長が、「上を向いて歩こう」を聞いてすっかり気に入り、さっそく所属のケニー・ボール楽団にレコーディングさせた。しかし、このタイトルのままでは英語では発音しにくい。とっさに思いついたのが日本で食べた「スキヤキ」だった。「スキヤキ」はジャズにアレンジされたインストゥルメンタルだったが、全英トップテンに入るヒットとなる。そしてすぐにアメリカに飛火した。
ワシントン州のラジオ深夜番組のDJリッチ・オズボーンは、この「スキヤキ」が日本語の歌が入ったオリジナルが存在する事を知り早速取り寄せた。
1963年4月、リッチ・オズボーンは自分の番組で1枚のレコードをかけた。「スキヤキ」のオリジナル、Kiyu Sakamotoの「上を向いて歩こう」。もちろん「SUKIYAKI」としてであるが。曲が終ると同時に問い合わせ、リクエストが殺到。この反響の大きさにより、キャピトル・レコードが全米発売に踏み切った。昭和38年(1963)5月のことである。そして前述の通り、全米No.1ヒットとなったのである。その後、ビリーヴォーン楽団、フランク・プゥルセル楽団などをはじめ、世界13ヶ国、23タイトルのカバーが発売された。
Kiyu Sakamotoの名は一躍世界中の知るところとなり、キャピトル・レコードの招きで渡米、人気番組「スティーブ・アレン・ショー」に出演するなど大活躍。当然、活動拠点をアメリカに移したら、という話も持ち上がったが、その後の日本側関係者の対応のまずさからいつの間にか立消えになってしまった。坂本九自身が果してアメリカで勝負したかったのかどうかは、今となっては知る由もないが、「SUKIYAKI」が今でも世界中で愛されていることを考えれば「この1曲」だったから良かったのかも知れないとも思う。なぜなら「六・八・九トリオ」だからこそ作れた曲だから。

「上を向いて歩こう」は20世紀最後の「NHK紅白歌合戦」のフィナーレで歌われた。そして同じく坂本九のヒット曲と「明日があるさ」がCMなどに使われてリバイバルヒットした。
出口の見えない不況や相次ぐ自己中心的な犯罪。違った意味で暗い影が忍び寄る現代日本に生きる庶民もまた、坂本九の前向きで明るい歌声を必要としているのかも知れない。
[参考データ]
●「スキヤキ」の他に全米1位をとった曲
1958年「ボラーレ」(ドメニコ・モドゥーニョ)イタリア語
1963年「スキヤキ」(坂本九)日本語
1963年「ドミニク」(スール・スーリール)フランス語
1975年「涙のしずく」(フレディ・フェンダー)スペイン語
1987年「ラ・バンバ」(ロス・ロボス)スペイン語
●
|