昭和33年(1958)12月23日、東洋一の鉄塔が完成した。「東京タワー」である。60年代に始る高度経済成長のシンボルともいうべきこのテレビ塔の完成は、まさに新しい時代、黄金の60年代を迎えるのにふさわしいものであった。
 昭和28年(1953)2月1日、NHKが日本初のテレビ放送を開始。契約世帯数866件でスタートしたテレビは昭和33年(1958)に100万件を突破。翌34年(1959)4月、世紀の祭典といわれた「皇太子(現天皇)ご成婚」の馬車行列が完全生中継されると、テレビの普及率は一気に急上昇した。そして、この気運を見逃さなかったのが渡辺プロダクション社長、渡辺晋氏である。この年の6月に伝説の音楽バラエティ番組「ザ・ヒットパレード」をフジテレビでスタートさせ、この中で、所属タレント第一号のザ・ピーナッツを強烈にプッシュ。司会はミッキー・カーチス、ゲストに平尾昌晃や水原弘などロカビリー・スターを続々登場させた。そして、この番組ディレクターがラジオの文化放送から出向してきた椙山浩一(のちの作曲家すぎやまこういち)氏である。スタジオにしつらえた観客席にファンを入れたり、ラジオ的手法のハガキリクエストによるチャートを取り入れたり、その斬新な構成と明るいノリはたちまち茶の間の人気を呼び、出演者全員による「ヒッパレー♪」の大合唱は子供までがまねて歌うほどのヒット番組となったのである。そしてその後の同カテゴリーの番組制作に影響を与えたのはいうまでもない。また、この年にはNHK高知テレビ開局記念でペギー葉山が歌った「南国土佐を後にして」が本人の意思とは裏腹に大ヒット。ジャズにこだわっていたペギー葉山が歌謡曲を歌うきっかけとなり、もはやテレビを抜きしては語れない時代となっていたのである。
 昭和36年(1961)4月にはNHK「夢であいましょう」がスタート。この番組からは坂本九「上を向いて歩こう」ジェリー藤尾「遠くへ行きたい」梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」など、数多くの新しいスターと良質のオリジナル歌謡ポップスを輩出していった。他にも「7時にあいましょう/TBS」「若い季節/NHK」「スパーク・ショー/フジテレビ」などがオン・エアを開始。こうして「テレビ」という新しいメディアは、スターの露出度をより増し、歌だけではなく、踊りやコントといったビジュアル面での多様化とともに、そこから発信される情報はそタイムリーでリアリティなものとなり、それを茶の間で享受できるファン・視聴者はより親近感をもってスターに接し、あるいは逆に親近感を与えるタレント性がスターにも要求される時代となった。
 そういう「テレビ時代」に登場してきたのが、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりのナベプロ三人娘をはじめ、森山加代子、弘田三枝子、九重佑三子、斉藤チヤコ、佐々木功、スリー・アァンキーズ、田辺靖雄、克美しげる。などであり、彼等の大半は十代の若者で「ミルク・ティーン」とも呼ばれ、先輩にあたるロカビリー歌手達が続々歌謡曲へと移っていった後、次の世代をになうべく、コニー・フランシスやフォー・シーズンズ、デル・シャノン、といった洋楽ポップスの日本語カバーをテレビにレコードに歌いまくり、甘く切ないティーンズ・ポップスの時代を築いていった。カバー・ポップス第二世代でもある。

「ザ・ヒットパレード」
フジテレビで昭和34年6月〜45年3月まで放送された。画面はザ・ピーナッツと後方がスマイリー小原。

「夢であいましょう」
NHK/昭和36年4月〜昭和41年4月。田辺靖雄と九重佑三子はこの番組の共演がきっかけで結婚した。

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