それは歌謡界の新しい潮流だった。

 65年に一気に花開いたベンチャーズ・エレキブーム。そして同時期に静かに芽生えたフォーク。このふたつがクロスオーバーした部分を含みながら、ビートルズの台頭によって、よりはっきりとした形となったのがグループサウンズであった。しかし、よく使われる「GSブーム」という言葉はやや軽すぎる。
 ブームというのは一過性のものだから必ず終焉がくる。それはそれでいいと思うけど、エレキからGSへと続く流れははそういう表面的なものではなく、日本の大衆音楽世界に新しく生れた潮流であった。一連の動きの中で若者たちの間に根づいたものはその後の歌謡曲・ポップスにむしろ連綿と生き続け成長していった。GS そのものはわずか2年たらずであったけれども、その短い期間に、多くの人材を生みだしている。ぱっと思い浮ぶままに書いても、宇崎竜童、井上尭之、加瀬邦彦、穂口雄右、後藤次利、などなど数えあげたらキリがない。過ぎてしまえば胡散霧消して誰も口にしなくなる一般的な「ブーム」とはわけが違うのだ。
 GSの数年前、50年代の終り頃から頻繁に外国(特にアメリカ)のポップスが日本に入ってくるようになり、日本のポ若いピュラー歌手達は争うように、日本語カバーを歌った。それらは国内では総称してロカビリーと呼ばれ、日劇ウエスタンカーニバルがその中心となる。社会的にもティーンズ世代がその行動において主張をし始めた時期でもあり、ヤングカルチャー第一世代でもある。
 やがて日本の作家によるオリジナルも出始め、演歌・歌謡曲が中心の音楽界にいわゆる和製ポップスのジャンルを築いていった。まだまだ作曲家と歌い手がはっきり分けられていたシステムのなかで、平尾昌晃やアイ・ジョージのように自分で作曲して歌う、その後のGSやフォークにもつながる、いわゆる「自作自演歌手」が登場したのもこの頃である。
 第二世代のエレキ・ブームではこれが一気に花開く。若者たちはまずギターを手にして、弾く楽しさを知った。それまでのギターのイメージと言えば、近所のオッサンが、ガットギターをボロンボロンと「影を慕いて」「湯の町エレジー」よくて「禁じられた遊び」なぞを弾いていたくらいで、とても若者が「弾きたい!」と思えるようなシロモノではなかったのだ。
 それが、ベンチャーズの登場でエレキ・ギターを知り、そのサウンド・迫力に若者たちは惹かれ飛びついた。さらに同時進行で、加山雄三がエレキを持って歌い出した。しかも自分で作曲して・・これはもう若者が黙っているはずがない。全国に「若大将」が出現した。
 自分でギターを持ち、曲をつくり、歌うというスタイルがカッコいいとされ、いわゆる自作自演ブームとなる。その波は、ビートルズやローリングストーンズ、フォークではブラザース・フォー、PPMなどの影響もあり、やがてグループ・サウンズあるいはシャパニーズ・フォークと波及していく。歌謡曲でも荒木一郎・佐々木勉などが出現してそれまでのプロ作曲家が歌手に楽曲を提供して歌うという図式は一気に古いものとなった。
 やがて、GSは淘汰され、ネオGSの時代を経てさらに本格的なロックバンドを生むことになる。頭脳警察、四人囃子、クリエーション、サデイスティック・ミカ・バンド、ダウンタウン・ヴギウギ・バンド、キャロル、ゴダイゴなどが登場。70〜80年代のロックシーンを演出した。
 一方、Jフォークの流れはよしだ・たくろう、井上陽水、ユーミンと続き、ロックと融合しながら、ニューミュージックと名前を変え、日本音楽界の主流となっていく。
 このように「エレキ・GS」は表面的にはひとつのブームではあったが、そこには数多くのアーティストの種が捲かれていたわけだ。

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