ご存じ!「電気ギターの王様」(笑)LP「ベンチャーズ・ライブ・イン・ジャパン」のMCでもおなじみ、当初、日本でははこう呼ばれていた時期がある。
 ベンチャーズは1958年、ドン・ウィルソンとボブ・ボーグルによって結成。最初は2人によるギター・アンサンブルだった。(現在でも正式メンバーはこの2人で、あとのメンバーは契約という形をとっている)
初期の頃はライブのたびにベースとドラムを呼んでくるといった状況だったようだが、1959年頃からベースはノーキー・エドワーズ、ドラムスはホーウィー・ジョンソンに固定されるようになった。
 1960年に「ウォーク・ドント・ラン(Walk Don't Run)」でレコード・デビュー。当初はドンの母親が息子の為に設立した「ブルーホライズン」というマイナーレーベルからだったが、この曲は大手レコード会社、リバティ系列の「ドルトン」に認められメジャーデビューを果した。発売後2週間で全米第2位まで登り詰めたが日本では日本語カバーポップスの全盛期、まだ受け入れる下地ができていなかったのか、それほどのヒットとはならなかった。ただ、この時、加山雄三がいち早くベンチャーズに注目し、自分のラジオ番組で盛んに取り上げていたというエピソードはのちの関係を考えると興味深い。
 ベンチャーズが初めて来日したのは1962年5月、歌手との抱き合わせで、しかもドン・ウィルソンとボブ・ボーグルの二人だけである。ベースとドラムスは日本人に依頼するつもりだったらしいが、最初のセッションでフィーリングが合わず、結局二人だけで最後まで通した。
 ベンチャーズが劇的に変化するのは1963年、ノーキー・エドワーズが正式にフルタイムメンバーになると同時にリードギターに定着し、ドラムスがメル・テイラーにチェンジしてからだが、もうひとつ忘れてならないのが、ギターを「モズライト」に持ち替えたことだろう。それまでのシンプルでソフトなサウンドが(といっても当時の音楽としてはかなりうるさい方だったのだが)ぐっとワイルドに、そしてレコーディングにおいても多重録音を駆使し、オルガンにレオン・ラッセルをフィーチュアーするなど、分厚いサウンドに変わっていった。これが若者の心をとらえ、1964年には「パイプ・ライン(Pipeline)」「ダイヤモンド・ヘッド(Diamond Head)」「10番街の殺人(Slaughter on 10th Avenue)」が立て続けにヒット。こうなると不思議なもので、デビュー盤の「ウォーク・ドント・ラン」も人気が出て再発売、さらにはアレンジをかえた「ウォーク・ドント・ラン’64」を発売するとこれもヒット。まったく勢いというものは恐ろしいものだ。
 そして1965年1月、今度は人気絶頂の中での再来日、ところが日本側のプロモーターは現状をまだよく認識できていなかったのか、ベンチャーズだけでは不安ということで、やはり「太陽の彼方に(Movin')」をヒットさせていたアストロノウツとのセットで企画した。(日本からは寺内タケシとブルージーンズとザ・スパイダースが参加)。このライブでアストロノウツに失望したものは少なくなかったが、ベンチャーズの方はその会場を圧倒するサウンドとテクニックで観客を熱狂させた。今や伝説となっている「新宿・厚生年金会館」でのライブを収録したLP、「ベンチャーズ・ライブ・イン・ジャパン」は7月にリリースされ、50万枚という、当時のアルバムとしては驚異的な売上げを記録した。
 その後、ノーキー・エドワーズの脱退と再加入、ジェリー・マギーの加入、メル・テイラーの死去などいくつかの変遷を繰り返しながらも毎年日本を訪れ、還暦を越えてなお、元気なプレーを見せてくれている。

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