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■エレキ元年・・。
1965年・・・。最近よく言われているが、この年が「エレキ元年」なんだそうである。
「エレキ元年」。なるほど。忘れもしない1965年1月3日。今では伝説となったこの日、新宿・厚生年金会館で行われた「ベンチャーズ日本公演」は文字通り、興奮と熱狂の渦に包まれた。
ステージに立っているのはアイドル歌手ではない、30歳前後のいわば「おじさん」4人組。観客席を埋め尽した若者は圧倒的に男が多い。したがって、「キャー!キャー!」という黄色い声援ではなく、「ウォーッ!」という叫び声がさざ波のように会場を駆けめぐった。
PAなどというものはまだ言葉すら存在しない、だだっぴろいステージに無造作に置かれたパイプ椅子、その上にのっけられたアンプ。そしてドラムだけというシンプルな設定から、信じられないような音を信じられないテクニックで我々に聞かせてくれた。その当時来日する外国のエレキバンドのコンサートというと、手抜きが多く、あるいは実際にはそれだけの演奏テクニックを持っていなかったのか、レコードで聞いていたイメージからは程遠い演奏でガックリさせられた経験は一度や二度ではなかったのだ。ところがベンチャーズときたら、レコードのように、いや、部分によってはそれ以上のテクニックを披露してくれたのだ。しかもナマである、多くの観客にとって、この光景とサウンドは五感のすみずみにまで染み渡ったことであろう。
「エレキ」・・。電気ギター、エレキ・ギター(エレクトリック・ギター)、エレキ・インストゥル・メンタル・グループ、エレキ・コンボ、エレキ・ミュージックetc。本来ならこう表現をするところを、「エレキ」、の一言で意味が通じてしまうくらいのブームとはいったいどのようなものだったのであろうか。
■サーフィンの波とともに
1960年代はじめにアメリカのカリフォルニアから流行りはじめたサーフィン・ミュージック・ブームは、数多くのサーフィン・ホットロッド系ロック・インストゥルメンタル・グループを生みだし、アメリカのポップ・シーンで大活躍をするようになった。
やがてそれらのグループの中から、スタンダードやヒット曲などを独自にアレンジし、あるいはオリジナルを生みだすなど、ロック・インストゥルメンタルのひとつの流れが生まれ、中でも抜群の存在感を示していたのがベンチャーズであるが、これらの動きにヨーロッパもすぐに呼応し、シャドウズやスプートニクスなども同様の活動を始めるに至った。こうして、欧米で火がついたエレキ・インスト・ミュージックは、ついに日本にもやってくるのである。
1963年の後半にザ・サウンズの「さすらいのギター(Mandschurian Beat)」がヒットするなど、その兆しが見え始めたエレキ・インストの波は1964年、アストロノウツの「太陽の彼方に(Movin')」の大ヒットで大きなうねりとなった。さらに、「太陽の彼方に」は日本語の歌詞をかぶせたカバー盤もヒットし、藤本好一が歌う「のってけ、のってけ」は子供までが口ずさむほどの大流行。そして7月にはベンチャーズの「パイプ・ライン(Pipeline)」が発売され、イントロでいきなり飛びだしてくる「テケテケテケ・・・」はのちにエレキ・ミュージックの代名詞となるくらいの大ヒット。ちなみに「テケテケテケ・・」はもちろん、「トレモロ・グリッサンド」の事だが、この「トレモロ・グリッサンド」のフレーズ、誰が最初に考案(作曲?)したのかは知らないが、私が最初に聞いたのはシャンティズの「パイプ・ライン」だったと記憶している。しかし、このシャンティズ、アメリカ西海岸では超有名なバンドだがついにメジャーにはなれず、「パイプ・ライン」に至っては、すっかり「ベンチャーズの曲」として定着してしまった。しかしそれも無理はない。余談だが、ベンチャーズといえばアレンジの名手。その卓越したセンスと演奏技術で他のバンドのナンバーを次々とレパートリーに加え、少なくとも日本においては本家よりもヒットさせてしまうのである。シャドウズの「アパッチ(Apache)」しかり、ダコタスの「クルエル・シー(The Cruel Sea)」しかり、サファリーズの「ワイプアウト(Wipeout)」しかりである。口の悪い評論家は「パクリのベンチャーズ」などと雑誌に書いたこともある。話が横道にそれてしまったが、なにはともあれ、こうして日本全国津々浦々、「のってけ、のってけ」「テケテケテケ」は蔓延していくのであった。
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