「ギターのロールス・ロイス」、あるいは「キング・オブ・エレキ・ギター」と呼ばれ、エレキ・キッズの永遠の憧れでもある「モズライト」。「モズライト」にはいくつかのモデルが存在するが、この場合は総じて「ベンチャーズ・モデル」を意味する。「ベンチャーズ・モデル」は60年代中頃に巻き起った空前のエレキ・ブームの中心的存在としてダントツの人気を誇ったベンチャーズが使用したことから、一躍脚光を浴びるようになった。
 モズライトはギター製作家、セミー・モズレーによって1953年に創設された。セミー・モズレーはリッケンバッカー社に勤務したあと19歳で独立するが、その際、親交のあった宣教師、レイ・ボートライトに大変世話になったことから、自分の名前モズレーとボートライトを掛合わせて「モズライト(MOSRITE)」という社名にした。なお、ベンチャーズ・モデルの特徴でもある「ジャーマン・カーブ」と呼ばれるボディは、リッケンバッカーのデザイナー、ロジャー・ロスメイルのデザインが元になっており、彼がドイツ人であることからこの名がついている。
 当初はミュージシャンの注文によるカスタム・ギターの製作が中心の細々としたものであったが、そのクォリティの高さは徐々に評判となり、ベンチャーズのリード・ギタリスト、ノーキー・エドワーズが愛器の修理に訪れた事から大きな転機を迎えることになる。
 ノーキー・エドワーズはモズレーの工場においてあったある試作品を発見、細いネック、低いフレット、パワフルなピックアップ、まさに求めていた理想のギターがそこにあった。すっかり気に入ったノーキーはこれを買い取り、レギュラーギターとして使用を始める。そして、ベンチャーズのマネージャー、スタン・ワーナーからベンチャーズ専用ギター製作の依頼があり、「ベンチャーズ・モデル」が誕生。1963年のことだった。この契約金でモズレーはベイカーズフィールドに本格的な工場を設立。量産体制を整え、ベンチャーズ・モデルにも次々と新技術を導入、改良を重ねて充実させていった。そして、エレキ・ブーム、ベンチャーズ人気によってモズライトは黄金期を迎えることになる。

「フェンダー・テレキャスター(Fender Telecaster)」は、レオ・フェンダーによって1948年に製作開始された「エスクワイヤ(Esquire)」が原型となっている。このモデルは1950年4月に正式に発売開始。だがその直後、販売代理店の意向で「ブロード・キャスター(Broad Caster)」にネーミング変更。ところが、1951年になってグレッチ社に同じ名前のブランドがあることが判明。急遽「テレキャスター(Telecaster)」に変更。しかし、すでに製造されていたものはロゴ変更が間に合わず、「Broad Caster」の文字を消して「Fender」のみのロゴで販売。これは「ノー・キャスター」と呼ばれている。この時期のものはすべて手作りで、約120本生産されたといわれているが、いずれも現在では入手困難となっており、コレクターの間では垂涎の的だ。
 テレキャスターは世界で最初の量産ソリッドギターであり、その歴史は長く、今でも根強い人気を誇っているが、なかでもカントリー系のギタリストに愛用者が多い。その理由は、1940年代後半のカントリー・ミュージック界において、電気楽器としては先輩にあたるスチール・ギターがリード楽器として主流となっていたこと。テレキャスターはそれに取って代るかたちで登場したという歴史的背景と、テレキャスターにはトレモロ・ユニットがなく、チューニングが安定していることから、チョーキングを多用するカントリー奏法にマッチしていたこと。また、そのクリーンで歯切れの良いサウンドは「歪み」を好まないカントリー的であるという技術面が影響していると思われる。
 テレキャスターを愛用しているギタリストとしては、プレスリーのバックを務めたジェームス・バートン、ノーキー・エドワーズ、ドン・リッチなど、またカントリー系以外でも、ロイ・ブキャナンやスティーヴ・クロッパーなどが有名だ。

 1954年に発売された「フェンダー・ストラトキャスター(Fender Strtocaster)」は、テレキャスターに次ぐフェンダーのソリッドボディモデルで、トレモロ・アームの採用。操作性を向上させるためにボディのエッジを丸く削り、さらにコンフォード・コンタード・ボディ(演奏時に胴に当る部分を削ってへこみを作った)にするなど、当時としては斬新なアイデアとモダンなボディは、現在でもなお輝きを失わず、世にあるソリッド・エレキ・ギターの原点といっても過言ではないだろう。
 ストラトキャスターに採用されたシンクロナイズド・トレモロ・ユニットは多くのビブラート・ユニットの基礎となったものだが、’52年に完成したプロトの段階で数々の問題点を解消しきれず、設計の段階から開発をし直すという苦心の末の誕生だった。そのために、’53年に発表していながら実際の発売は1年遅れたと言われている。なお、’55にはトレモロレス・モデル(ハードテール)も発売されている。
 今では人気ギターのストラトキャスターも、発売当初はそれほどの反響は得られなかった。50年代後半になってロックン・ロールシーンで使用されるようにはなっていたが、それでも人気はいまひとつ。しかし1960年になってイギリスの人気グループ、シャドウズが使用してヨーロッパで大人気となり、ザ・サウンズやスプートニクスなども使用するなどしてようやく知名度を得る。その後もロック・シーンで大活躍。ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンなどが愛用。世界的人気を誇るギターとなった。
 

 1960年前後のロック・シーンにおいて、多くのミュージシャンがソリッドボディのエレキ・ギターに持ち替えるようになった。さらに、それまで歌手のバッキングが中心であったバンド活動が、独自のサウンドを作り出し、グループとしての活動が主流となっていく。そんな時に「フェンダー・ジャズマスター(Fender Jazzmaster)」は登場した。そして、南カリフォルニアを中心に巻き起ったサーフィン・ミュージック・ブーム。その中でも絶大な人気を誇っていたディック・デイルとビーチ・ボーイズがこのジャズ・マスターを使用したことから、その後に登場してくる多くのサーフィン&ロック・バンドもそれに習い、大きな注目をあつめることとなった。
 レオ・フェンダーは多様化してくる音楽シーンのニーズに応えるため、テレキャスター、ストラトキャスターを超える音質・音量を備えた最高級のソリッド・ギターを目指して開発を進めた。そして1958年に発売されたのが「ジャズマスター」だ。名前が示すように、それまでソリッド・ギターはあまり使用されることのなかったジャズ・シーンを意識してのものだった。
 ボディ形状はカーブの度合を減らし、より四辺形に近くなり、さらにトレモロ・ユニットも新設計。ボディに切込みを入れ、中にスプリングを換装、金属プレートで塞ぎ、そのプレートにアームとブリッジを取付けたユニットは「フローティング・トレモロ」とネーミングされた。ピックアップも専用に開発され、それまでの細いタイプのものからフラットで面積の広い四角いものになり、メロウで太いトーンは新トレモロ・ユニットとのコンビネーションで新しいサウンドを生みだした。
 結果的にはジャズ・ミュージシャンにはあまり使用されなかったが、サーフィン系を中心とした新しい音楽シーンで広く愛され、その存在を示した。

 1961年、ジャズマスターのさらに上級機種として、フェンダーは「ジャガー」モデルを発表した。ボディはジャズマスターと共有だが、ネックは25.2/1インチから24インチへとスケールはやや短くなり、スペックは独自のものを持っている。
 ピックアップはストラトキャスターのものをアレンジ、「サイドヨーク」と呼ばれるU字型鉄板を外側に取り付け、電磁回路を強化することでさらにパワフルに、タイトで歯切れのよいサウンドとなった。また、様々なバリエーションが可能なスイッチ類を豊富に搭載、そして、「ブリッジ・ミュート」など、フェンダーのトップモデルとしてのスペックを確保。発売されるやいなや圧倒的な支持をうけ、ジャズマスターからジャガーに持ち替えるミュージシャンも数多くいた。また、日本でもモズライト以前の寺内タケシが使用したこともあって人気モデルとなった。

 「バーンズ(Burns)」はハワイアン・ギター奏者だったジム・パーンズが1958年に設立したメーカーで、最初は「スーパーサウンド」というブランド名だったが、1960年に「バーンズ」となった。
バーンズは「ブラックパイソン」や「スコーピオン」といったモデルも発売しているが、なんといっても有名なのはこの「マーヴィンモデル」だろう。
 「マーヴィンモデル」はその名の通り、シャドウズのリードギタリスト、ハンク・マーヴィンのプロデュースによって開発されたものだが、当時のイギリスではアメリカ製のギターの輸入を禁止されていたことから、自国のメーカーであるバーンズに、よりハイ・クオリティのギター製作を求めたことによるものと思われる。
 特徴としては、「レゾマティック・ピックアップ」と呼ばれる専用に開発されたピックアップが3個、均等に配置され、6絃側がヘッドよりに斜めにオフセットされていることだろうか、そのトーンはパワフルで太い。また、トレモロとブリッジも専用に開発され、「レゾチューブ・ブリッジ」ヴィブラート・ユニットは、高い操作性とクォリティを誇り、チューニングの安定性にも優れている。
 1964年に発表された「マーヴィンモデル」は、ハンク・マーヴィン及びシャドウズが使用し、他のミュージシャンやファンに強烈な印象を残した。他に「ザ・ハニーカムズ(The Honey Combs)」などが使用している。

 総合楽器メーカーであった「ヤマハ」が満を持してギター製作に乗りだしたのが1965年4月だった。その際、圧倒的なテクニックと人気を誇っていた「エレキの神様」寺内タケシをアドバイザーとして迎え、生まれたのが「SG-5、SG-7」である。中でも「ブルージン・カスタム」は、まだプロトタイプの段階で1965年の暮れに公開され大ヒットした「エレキの若大将」の中で、寺内タケシとブルージーンズが使用し、大きな反響を呼んだ。このことから、SG-5、SG-7は通称「ブルージン・カスタム」と呼ばれていたが、「ブルージン・カスタム」はこの映画の中で使用されたモデルのみで、市販品の正式名称ではない。正真正銘の「ブルージン・カスタム」の登場は1996年まで待たなければならないのである。ところで、この時まだ試作段階であったにもかかわらず、ヤマハ側は映画のヒットに合わせて公式発表してしまった。そして1966年8月に発売開始。まだ開発の余地を残していたという感のある寺内タケシは、コンサート等でしばらく使用していたものの、1年後には再びモズライトに持ち替えている。
 さて、話がそれてしまったが、当時の国産ギターはどうしてもプアなイメージがぬぐえず、外国産ギターにはとてもかなわないと思われていたのだが、このSG-5、SG-7は、大胆なカッティングによる斬新なボディデザイン、細いネック、バランサー式ピックアップ、ローラーブリッジ、テンション調整テールピースなど、技術の粋を惜しみなく注ぎ込み、「ジャパンオリジナル」として受け入れられるギターとなったのである。

 1954年にエレキ・ギター製作を開始したグヤトーンは、当初は輸出向けが中心だったが、60年代に入り、エレキブームを迎えた国内で急激に需要が高まり、「テスコ」とならんで国産エレキ・ギターメーカーとして君臨した。
 そんなグヤトーンが最上級機種として位置づけ、開発したのがLG-350シリーズ、通称「シャープファイブ・モデル」である。名前からもわかるように、このモデルは寺内タケシと人気を二分していたシャープファイブのリードギタリスト、三根信宏との共同で1966年から開発が始まった。12月にプロトタイプの使用を開始、コンサートやレコードなどで披露されて人気を博し、1967年4月に市販開始されるや、多くのギター・キッズが買い求めた。
 ジャーマン・カーブが施された高級感あふれるボディラインに、オリジナル・シングルコイル・ピックアップから奏でられる澄んだシャープなトーンは、まさに三根信宏のキャラクターとぴったりマッチし、名器の名を欲しいままにした。今でも需要は衰えず、レギュラーに製造が続けられている。

HOMECATEGORY TOPBACK|NEXT|

Copyright (c) 1999-2003 A Ringo House. All Rights Reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等の無断転載を禁じます。記事の著作権はRingo Housoに帰属します。