|
■ブームがブームを呼び・・・
エレキ・ブームは確かに凄かったが、ほぼ同時期にビートルズもヒットチャートをにぎわしていた。ただ、初期の頃のビートルズはほとんどアイドルグループ扱い。音楽的影響は後からゆっくりと浸透していったのだ。というのも、当時のイギリスのヒット曲は直接日本に入ってくる例は少なく、ほとんどがアメリカ経由、アメリカで評判になってから、「じゃあ」ということで日本に持ってくるというパターンだったわけで、そこには相当のタイムラグがある事を考慮しなければならない。
ビートルズが本国イギリスでデビューしたのは1962年10月5日「ラブ・ミー・ドゥ/P.S.アイ・ラヴ・ユー」だが、日本でのデビューシングルは1964年2月に発売された「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」(日本語タイトル「抱きしめたい」)だ。最初は第2弾シングルの「プリーズ・プリーズ・ミー」が予定されていたのだが、「抱きしめたい」の方が、前年の‘63年にイギリスとアメリカでナンバーワンとなったことから急遽差し替えられた。
それはともかくとして、ビートルズは確かに日本でも圧倒的に人気を誇った。だが、受け入れたのは洋楽ファンの、それもほとんどが若い女性という、極めて限られた世代・ファン層である。音楽としてどこまで理解できていたかは疑問であるし、少なくともその捉え方はアイドルグループとしてのものであったと言える。
比べること自体まったく意味のないことだが、歌謡曲ファンも含めて、幅広い世代の日本人のリスナーには、意味の分らない英語のボーカルよりも、歌のないインストゥルメンタルのベンチャーズの方がとっつきやすかったのだろう。最初のうちは・・。まだロカビリーをひきづり、和訳ポップスの余韻も残っていた時期でもあるのだ。
エレキ・ギターのアンサンブルを基本とした、新しいスタイルのバンド編成という点ではビートルズとベンチャーズは似ている。多くの日本人にとってビートルズとはベンチャーズに歌がくっついたものくらいの認識でしかなく、まさにミソもクソも一緒。ビートルズと言えどもエレキブームという大きな波の中にいたに過ぎない。だがそれは当時としては当たらずとも遠からずである。なにしろ、あるマスコミのビートルズに関する記事には「イギリスのロカビリーグループ」と紹介されていたくらいである。マスコミでさえも、あまりにもめまぐるしい時代のスピードについていけなかったのであろう。その扱いにとまどっていた時期でもあった。
幸か不幸か、この二つのムーブメントには多少の時間差があった事が日本のポップス史、歴史的には大きな意味を持つ。まず、若者がエレキ・ギターを手にしたのはベンチャーズがいたから。そのベンチャーズをお手本にしてエレキ・コンボバンドの編成、演奏の仕方を学んだ。フッ!と横を見るとすぐ側にはビートルズがいた。同じスタイルで歌を唄っている。コーラスもやっている、しかも自分達で作曲までしている。「おー、カッコいいな、俺達もやってみよう」というわけで、すーっと入っていけた。最初からビートルズをやってやろうなんてのは相当の変り者で、というより、その時点ではついていけなかったと見る方が正しいだろう。事実、1964年の4月には、当時のアイドルコーラスグループ、「スリーファンキーズ」が「抱きしめたい」をカバーしている。同じく「クール・キャッツ」が「プリーズ・プリーズ・ミー」。もちろんいずれも日本語で、楽器も出来ないから演奏は別である。アレンジもすでに過去のものとなりつつあったロカビリーの手法から抜けきらず、プアーな印象は免れない。極めつけはフォロワーとも言うべき「東京ビートルズ」。「東京ビートルズ」は1964年の3月にデビュー。いちおう自分達で演奏できるということで、映画館やクラブでライブも行っていたが、急ごしらえの感はぬぐえず、当時のレベルで見てもアマチュアに毛の生えたようなものだ。特にライブでは衣装も白シャツに白タイツという、似ても似つかぬもので、アナーキーというか、当時の全般的な評価もほとんどキワモノ扱いである。おそらくは「ビートルズ」を目指したのではなく、「ビートルズ」というブランドに便乗しただけであろう。ただ、東京ビートルズは、のちのGSバンドのプロトタイプとしてひとつのヒントになったことは確かである。そういう意味では時期尚早ではあるが存在意義はあったといえる。
いずれにしても、「ビートルズはカバーできない」。これらの試みは、これまでのポップスとは明らかに違うということを多くの若者に気づかせる結果となり、プロでさえ軒並コケてしまったのであるから、アマチュアにおいてはなおさらで、最初から「ビートルズをやろう」という連中が現れるのはもう少し後、GS時代になってからである、ただし、ベンチャーズの時のようにコピーをするものはもうほとんどいなかった。ビートルズは「ものまね」や「カバー」の対象ではなく、「自分達で曲を作り演奏して歌う」というきっかけを与えてくれたバンドだったのだ。
つまり、ベンチャーズの影響で多くのアマチュアバンドが出現した。また別なところにビートルズの影響を受けたバンドが出現したのではなく、ベンチャーズをやっていたグループがそのままビートルズ、あるいはブリティッシュロックでもいいが、ようするにボーカルグループへと移行していったというのが本当の姿であった。ただし、この間の時間はあっという間だが・・。
多くの日本の若者は、かつて日本人によるロカビリーや日本語カバーを通して本場のポピュラー音楽を理解していったように、ベンチャーズというフィルターを通して8ビート、ロックテイストを理解した。だからこそビートルズをも認識していったのだ。
今でこそ、当時をリアルタイムで過ごした若者を「ビートルズ世代」などと言っているが、それはずっと後になってくっつけたもので、現実にはベンチャーズほどのインパクトがあったわけではないし、ビートルズ一辺倒だったのかというとそうでもない。確かに抜きんでたヒットメーカーではあったが、本当の意味でビートルズ狂騒がはじまるのは1966年、伝説の武道館公演以後である。それも、本物の(真に音楽的理解をしての)ファンが果してどれほどいたのか。大多数はマスコミやまわりが騒いでいるから「何となく」右へならえ、というのが本当の姿だったのではなかろうか。そして、日本人がビートルズの音楽的偉大さに気付くのは、世界的な評価の高まり、外国メディアにおいてビートルズ音楽論が盛んになる60年代も終りの頃である。だが、1966年の夏以降、ビートルズはもう人前で演奏することはなく、‘69年夏、最後のアルバム「アビィ・ロード」を残して70年4月にはポールが脱退した。
|